2007年05月の記事一覧


■今日見たホームページ スタート

2007-05-28

理事長ブログにあんなこと書こう。と思うものの、家に帰ってパソコン前に座ると別の仕事に追われてしまう。過去日記は続いたことがない。とりあえず続けられるそうなテーマも探しながら、まずは「今日見たホームページ」をテーマに。

市民の意見30の会・東京
 久々に見た。小田実さん、身体具合悪いのか、気になる。

楽天「喪服探し」
 買い物に出かける時間がない。

★賛助会員 FAQ
 ホームページリニューアル作業中。ヒントを得るため他のサイトサーフィン。

願成就院
 映画「伝染歌」レポート作成中。

犯罪被害者の会幹事を辞任しました。
 たまたまヒット。思わず、全文読んでしまった。

YouTube「ベ平連 - 1972」
 リンクから飛んで。

■NPO 組織の作り方

2007-05-28

NPO法人でなくて、狭義のNPO。どういう組織、運営スタイルがいいのか、常に暗中模索。

■「誰もが主役」の組織
 幸いなことに、いくつかの団体や委員会に所属するなかで、良いところ悪いところをマネするチャンスはある。10代に参加した団体では、特定の人間がトップというスタイルはとらず、「誰もが主役になれる」を合言葉に、事業資金の50万円なり100万円を出すと、主催者になれた。事業ごとに十数名の主催者が名乗りをあげて、事業を遂行する。ボランティアスタッフと主催者の隔たりは、契約書への連帯署名や、主催者会議に参加できること以外大きな差はないと感じた。あとは個人の意識に大きく頼る。15才の私も主催者(親の金だけど)になることができた。「金も出すし、発言も行動もする」というスタイル。

 このとき、「すげーなー」と驚いたのは、「アースデー」立ち上げ時、ある日他団体のおじちゃんとビラ詰め作業をしていた。「おたくの団体が羨ましいです。組織がいつも若い」というのだ。多くの団体は、立ち上げ者である人間がトップやコアメンバーとなり、スタッフの入れ替りがあってもトップは常に同じである。トップの退任と同時に解散というのもよくある話。若い秘訣はなんたって、単年度パワーだから、個々が完全燃焼できる。「自分が主役である」は、言いだしっぺがやる。をさす。これを楽しめる人間が多かったから、常に組織は若い。もちろん、言うだけでやらないヤツはいて、去っていくんだけど。
 が片方で、主催者が毎年入れ替ることのデメリットとして、経験が会の厚みにならない。引継ぎがない。などもあげられる。年を重ねると、それじゃいかん。というヤツが現れて、会報誌もできてくるし、脈々と受け継がれるものもできあがってくる。そうやって5年走ることができる。
 
■伝統ある組織
 22才で参加した組織。当初つまらないと感じたのは、完璧な縦系列の組織となっていて、担当する部署以外の事業に口をはさめないこと。「こんなんじゃ、よくならない」と葛藤の数年を送ったが、5年も所属してやっと、この組織の良さが見えてきた。厳格な会議と定款、ルール、事業計画に基づいた予算計画。数十年の歴史をもち、自分達会員の資金をたやさず確保できる組織形態。この組織には、退会しなくてはならない年齢が定められている。これは組織が常に若くあり続けるためには、画期的なシステムだと思う。

 計画に基づいた事業しかやっていけないなんて、とその厳格さに飛び出たこともあったが、このルールも今となれば、先人が築いた理由が見えてくる気がする。はじめて担当するものにとっては、ビジョンが定まるだけの経験値やスキルが少ないから、一年間の計画をたてることは実際に厳しいが、経験を経た者には、この厳格さがとても重要になると思った。つまらないと感じることは、組織の歴史、周辺地域の課題点を時代とともに察知する力、コミュニケーション力、トップのビジョン。要はいい加減になるってこと。そのどこかが欠けてしまうと、ルールも形骸化し、意味をもたなくなる。んだということがわかる。
 
 この悩みを抱えて飛び出ようとしたとき、私の心の師匠M村氏が言った言葉は、「ルールがあるから面白いだろう」だった。確かにそうだ。

■で、うち、フィルム微助人
 このルールを作るところから組織を作っているのが、フィルム微助人だ。NPO法人の選択をしたときに、セットでついてきたルールがある。事業計画や理事、会費の設定が必要。作業は面倒だが、このルールがあることで面白いことができる。過去の経験があったから、そう当時思った。
 最近の悩みは、そこから一歩進んだ。仲間内でルールを守ることは、日々の忙しさから、ゆるくなることはあっても厳しくなることはなかなか難しい。ましてや新しいルールを作るには。
 新しいスタッフが入ってくることで、大きな変化をもたらすのだとはわかる。が入ってくる仕組みづくりにも面白さがなくては。だ。あんど、「誰もが主役」の組織は後輩がつくってきた肉付けルールはもちろんあるが、骨格となるシステムは、経験豊富なあるおっさんが作り、それが20年も変わらず採用されている。
 ってことは?? 応えはまだまだ出ぬが、悩めばおのずと応えは出る。をモットーに今日からまたがんばんべー。と理事長ブログにメモしとく。

■今はなき、沼津が誇るコンサート 

2007-05-23

狩野川トワイライトコンサート(by沼津にぎわいネットワーク)の貴重なデータが消滅しているので、記録メモ。

渡辺香津美
97.11.25沼津御用邸で行われた【風鈴花散】のリハーサル風景
「市民や若者に良質の音楽を届けようと、沼津の青年会議所のメンバーを 中心として設立されたパンドラクラブ。今年の夏頃から僕のプロデュース を中心に、一緒にいろんな企画でイベントをやっている。」
「98年3月、静岡県沼津市において、自己のハイパー・エレクトリック・トリオ《青い山脈》(ベース青木智仁・ドラム山木秀夫)にピアノ山下洋輔、そして筒井康隆をクラリネット奏者として招いて「ジャズ大名スーパーセッション&トーク」をプロデュース。」

★パンドラクラブのサイトは今はなくなりました。筒井さんのクラリネットに加えMCが楽しかった。

世良正則
「98、99年夏、沼津での野外ライブでギタリスト、渡辺香津美氏率いる「燦燦スーパーユニット」に参加し、一段と活動の場が広まる。」と「情熱大陸

★サイトにあったように、このあと野村義男氏とユニットを組むようになられたそうだ。「燦燦スーパーユニット」という名前でツアーもやったとか。燦燦は沼津ならではのネーミングだからね。地元民からは嬉しいよね。

櫻井哲夫
1999/7/30(金) 【沼津サマーガーデン】「渡辺香津美エレクトリック・バンド」
渡辺香津美(g)山木秀夫(d)
1999/7/31(土) 【沼津トワイライトフュージョン】「HAPPY RABBITS」
世良公則(vo,g)野村義男(vo,g)渡辺香津美(g)神本宗幸(key)山木秀夫(d)

【KAZUMI WATANABE SPECIAL SUMMER 2000 トワイライト・フュージョン 】
2000/8/11(金)「アフロキューバン・ナイト」 会場:沼津狩野川河川敷・特設ステージ
渡辺香津美(g)櫻井哲夫(b)村上ポンタ秀一(d)斉藤ノブ(perc)本多俊之(sax)フィーチャリング・NORA(v) 8/12(土)「ソウルフル・ナイト」渡辺香津美(g)櫻井哲夫(b)村上ポンタ秀一(d)伊東たけし(sax)フィーチャリング・桑名正博、吉田美奈子(v)
オープニングアクト・スムースエース

Soulful Night(8/12)個人の方のサイトから
2000.08.12 19:00〜 沼津・狩野川河川敷
「このイベントは、毎年この時期に渡辺香津美さんが音頭を取って行われるものらしいんですが、こんな凄いメンバを「タダ」で見ていいんですかね?って位にソウソウたる出演者には、驚くばかりです。※そういっていただいてありがたいことです。」

(出演者)
SMOOTH ACE(オープニング・アカペラ)
渡辺香津美(g)
村上ポンタ秀一(ds)
櫻井哲夫(b)
伊東たけし(sax,flute)
桑名正博(vo,g)
吉田美奈子(vo)

★打ち上げは、ブルーウォーター貸切。

吉田美奈子
「2000年8月12日、沼津でのコンサート・イベントで、渡辺香津美と共演。」

筒井康隆さん 追っかけ カレンダー
柿田川チャリティコンサート「ジャズ大名スーパーセッション&トーク」
日時:1998年3月6日(金) 開場18:30 開演19:00 会場:沼津市民文化センター
<メンバー>
山下洋輔(pf)、筒井康隆(cl)、渡辺香津美(g)、青木智仁(elb)、山木秀夫(perc)  ”青い山脈”=渡辺、山木、青木  ”クラレパ”=筒井、山下、渡辺

★「金子いいか、食べ物って重要だぞ。コンサートの合間に沼津の美味しいものを食べに連れて行くだろう。あれは美味しかった。あの店また行こうよ。って食べ物の思い出吸引力はスゴイぞ」そうやって、いろんなポイントを教えてくれた峯村氏。毎夏は沼津でコンサートだ!ってアーティストも観客も楽しみにする環境つくり。

■映画「ガンヘッド」音楽:本多俊之と狩野川河川敷 

2007-05-23

■サントラ探し 
来週地元コミュニティFMコーストFMの「思い出音楽館」出演にあたり、お話する内容のシート記入の宿題を書いている。ラジオで苦手なのは好きな音楽をかけること。日頃音楽のない生活を送っているので、いざかけたいというCDが手元にないので困る。嫌いなわけでないが、公共電波を使って流しても面白くない曲しか持っていない。曲の名前を知らないなどなど。(やっぱ興味ないってことか)

 そいで、話す内容(フィルム微助人の話をする予定)にそった曲(サウンドトラック探し)でもと、映画音楽探しにネット浮遊で見つけた。へー、映画「ガンヘッド」(原田眞人監督作品)の音楽は、本多俊之さんだったのか。と知る。(以前も同じ気づきをした記憶はあるんだが)

■飛んで、まちづくりの話
 フィルム微助人立ち上げメンバー峯村氏が主宰していた「沼津にぎわいネットワーク」で、狩野川河川敷のにぎわいつくりということで、「狩野川フリーマーケット」と「狩野川コンサート」をやっていた。10年以上前になるだろうか。コンサートは、ジャズギターリストの渡辺香津美さんがコーディネイトし、香津美さんの幅広い交友関係からメジャーなアーティストが狩野川に集まった。私の父はジャズ大ファンで、よく連れまわされたが、ジャズって私はよくわからない世界であった。なので、コンサートも音楽についてはノリノリではなかった。(笑)私の興味は、いつも一点。その運営方法と人間模様。当時沼津青年会議所が事務局となり、市役所や企業で構成される「沼津にぎわいネットワーク」。狩野川河川敷(東急ホテル向かい)でコンサートやっちゃうなんてスゴイじゃん。と会議に出席させてもらっていた。あるとき、会議で議論になった「いつもジャズじゃつまらない」と。会議メンバーも常に二分化していた。継続メンバーと年度ごとに入れ替るメンバー。毎年のようにジャズでなくて。という意見はある。二分化されたメンバーのどちらでもない新参者の私は「ジャズは楽しいのかつまらないのかよくわかんないけど、キーパーソンになる香津美さんがいてその人脈で沼津ならではの新しいコラボが生まれる。そんなイベントって沼津では他に見当たらない。それってスゴイことじゃないですか。このスタイルでいいじゃないですか」といった発言をした記憶がある。 

■伊豆新世紀創造祭での気づき
 その後、2000年伊豆新世紀創造祭というイベントでも同様にこのコンサートを行った。そのとき、勝手に広報を担当した。運営で悔しいことがいっぱいあった当時、一人でも多くの観客を!と雑誌「ぴあ」にも無料掲載してもらった。継続主宰していた峯村氏が褒めてくれた。その前後から新参者から仲間として認めてもらえた感をもち、過去の運営について会話をすることが増えた。峯村氏曰く「自分が子供の頃はイイ音楽を聴きたいと思っても、東京に行かなくてはならなかった。子供には限界があるから東京を羨ましいと思った。大人になって、地元で聴きたい。また本物を知らなくてはダメだよ。一流を体験しなくちゃね。それを実現したかったんだよ、俺は」そんなこと思ってやっていたのかと感化された。同時にこのコンサートが何故に面白いのか。の互いの共通点を見出せた気分で嬉しかった。私と同じ感覚じゃんよ。って(笑)

■本多俊之さんとの出会い
 このコンサートの凄さはいっぱいあるんだが、その一部に、本多俊之沼津伝説がある。

 コンサートは屋外、狩野川河川敷で行う。しかも無料だ。だから前日の設営準備、昼間っから、寝袋をもった観客集団がいる。はじめてみた席取りに感動したわけよ。自分達主催だしさ。自分達の事業でこんなに観客が楽しみにしているイベントって今まであった?って思ったの。で峯村氏に聞いたら、ファン層にとっては、このコンサートは特別なんだって。何がってめったにないコラボだから。うんで以前本多俊之さんのファンが石川県金沢市からバス3台で乗り込んできたんだって。それ聞いて、その年のコンサートでは、本多俊之さんに注目した私がいる。本多さんの人柄的魅力を垣間見たわけで、その本多さんが、敬愛する原田監督作品、映画「ガンヘッド」の音楽をやっていたのか。と改めて認識してプチ学習。(仲間に言ったら、金子さんソレ知らないのヤバイよ。と言われるだろうな)同じ日に原田監督と本多さんがいたってコトか。

■つながり模索
 話し違うけれど、よく「金子さん、路線変えたの?なんで今これやるの?」って言われる。変えたわけでなく、脈々と繋がっているんだけどなーって思うけど、相手が納得するような説明が不足する。音楽と映画。自分的に、活動的に、会的に、つなげて説明できる自分のストーリーと言葉を探索中のメモブログっす。

 このコンサート、低予算でビックアーティストが勢ぞろいするんだが、この運営の秘密は、「人」(当たり前すぎ?)。興行でない運営方法があるんです。それはフィルム微助人とも共通する。(んだが、なかなか表に表せられていない歯がゆさ。付き)

■結局、選曲したのは
 原田監督作品映画「金融腐蝕列島-呪縛-」等の音楽:川崎真弘さんのサントラにした。(「竜童組」の時にお会いしていたんだなーというつながりも含めて)
★川崎真弘さんサイト「Wlcome to TINKERBELL Inc.

■ゴジ(長谷川和彦監督)とディレクターズカンパニー

2007-05-22

■タメ(同い年)じゃん
 来月36歳になる私と同じ歳に長谷川監督は、ディレクターズカンパニーを創っていた。長谷川監督とお会いしたときはよくわからないでいたが、井筒和幸監督もいて、メンバー10名が二十代三十代と、フィルム微助人のメンバーと似た年齢構成だと知る。映画「太陽を盗んだ男」は長谷川監督が33歳のときに撮っているのか。

■私の闘志に火をつけるもの
 身内に怒られるが、へこんだ時、まよった時に、自分と同じ世代の人間が既にコトを興しているぜ。と引き合いに出して、私も頑張らねば、もっと目指せよ!と気合をいれ、奮い立たせるクセがある。人間といっても、見知らぬ誰かが偉業を成し遂げていても興味わかず。雑誌にカッコイイ言葉が並んでいても、その人を知っていると「こりゃ理想だな」「こんな言葉遣いはしない、ライターが脚色しすぎだ」「この一行に彼の全てが凝縮されているな」などわかった気になれる。さらに「あの人フツーじゃん(フツーじゃないんだけど)、何でそんなことできちゃうのよ」「やっぱし、普段から言うこと違うものなー」と闘魂チャッカマン化する。よく考えると私の過去はそうやって人からの影響を受けながら、今もこうやってフィルム微助人に繋がっているんだな。
今回の迷いは、まだ秘密だけどね(映画と地元ネタ)、映画がテーマなんで、映画作った人が何を興してきたのか(考えてきたのか)を調べていた。(超中途半端だけどねー)うんで、まずは強烈印象をもっているゴジさんだった。

■ゴジさんとの出会い
 15歳だったか、あるところで、映画「太陽を盗んだ男」を長谷川監督と見た。こういうタイプの映画を見たことがなかったから??マークだらけで、衝撃が大きかったことは覚えている。映画を見て「考える」ことを始めてしたのだと思う。当時監督が映画について何をしゃべったかは記憶がない。お酒が好きで仮装パーティーで女装姿になった網タイツがインパクト強く、豪快で周りに人が寄って来る、おもしろカッコイイおじさんだと思っていた。今になってもっと話ちゃんと聞いておけばよかったと後悔(いつも)。自分が当時の長谷川さんの年齢になって、「どうよ、自分。すげーじゃん長谷川さんって」とネット浮遊中。

ゴジさん闘魂チャッカマンはこれで3回目。頭悪いんだなー。文章ちゃんと読んでないから、モノになってない。同じ動作を繰り返さないと学べない。ブログ便利、忘れないように記しておこう。っと。

★長谷川和彦監督を知るページ
君はデレカンを見たか!ディレクターズカンパニーの仕事
・映画監督長谷川和彦公認サイト「ゴジサイト
長谷川和彦全発言

太陽を盗んだ男 ULTIMATE PREMIUM EDITION
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