■ロケ支援が「世界平和」を目指せるワケ
>そうか 金子さん 目指すは「世界平和!」だったのね?・・・(笑
のコメントを受けて。この話しはじめると長いよー。どこから書こう。
■ロケ支援の魅力
十代に東京で体験したとき思った。目先のことを考えたら、日本のこと考えるし、すると外国との関係まで考えなくちゃいけないんだと。沼津に戻って商売やらなくちゃならない。目先の商売考えたら、同じく海外まで考えた。うんで、沼津では既存の仲間いないから、自分ができることからはじめようと沼津JCに入った。限界と可能性の両者を感じた。東京では自分より10歳20歳年上の人たちに混ぜてもらって活動していたから、複数分野の世界が一緒くたにあった。沼津JCで事業やらせてもらってわかったことは、福祉、環境といった分野だけでなく、福祉のなかでも細分化されていること。横の組織の繋がりが少ないと。今ある環境でデカイ夢と現実できることと、自身の限界も感じていた10年前。フィルムコミッションの存在を知ったとき、これは横の連携が必要だと思った。フジロックじゃないけれど、目的が異なる団体や人々が連携するときって、何かワクワクするものがあって動かされることだと思っている。
自分の限界のなかには、目的達成のための手法、事業スタイル、組織形態によって、得られる賛同者も得られない。フィルムコミッションは手段であり、撮影支援のプロセスには、自らが生み出せなかったワクワク感をもたらすことができるのでは?と思った。そんなとき、この思いを沼津JCの仲間複数名にぶつけてみた。結果、創設メンバーであるM村氏と共に始動させることになったわけだが、彼は89年公開の映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地ツアーの面白さを教えてくれた。ヨン様ブームのような追体験ではなく、主人公と同じ「想い」にかられた人たちがロケ地でユニフォームを着るなどのアメリカらしいツアー内容とともに、自分の人生と重ねられる時を過ごせるのだ。限界とともに、地方を卑下していた自分がいたから、この話は私にもそんな感動体験を生み出せることができるかもしれない。とも思った。
(話それた)
ココまでは、会を立ち上げた動機に記している通りですが、ちょいと話飛躍して
■「さぁ来い、ハリウッド!」
M村氏との共通目標は夢はデカク!だったのかもしれない。今忘れている。(笑)日頃、活動や生活に没頭していると目先のことしか考えられなくなっているのだが、私個人は、当時こんな想いがあった。東京での知人からの活動レポートがときおり寄せられる。彼らは今も何かに一生懸命になっている。あるジャーナリストは、チェルノブイリその後を追って被爆し体に異変が起きていた。父ほどの世代になる彼が身体を壊してまでかられた使命。多かれ少なかれ何かと戦っている。そのギャップに「私は何もできていない」と悩んでいたときがあった。
■フィルム微助人冊子「ダイジェスト版」から引用(出かける時間になっちゃった)
学生時代の6年間、NGO団体に参加し「遠い世界につうじる問題でも、現場は常に足元にあり、現場は仲間がいれば変えられる。誰かを仲間に迎えたいと心底思った時に、誰かが既に仲間になっている。夢は走りながら考える。楽しめなくちゃ、力にならない。」国際NGOの活動シーンでは、周りには常に「体を張った人たち」がいた。様々な分野でムズカシイ社会問題に取り組み、圧倒的な暴力と向き合っている人達がいた。「命がけ」の人たちを前にして「いったい自分は何ができるのか、何をしたいのか」と自問し続け、無力感に落ち込んだ日々もあった。すべて「生身の」「名前がある」人びとが動かしていること。身近なものと感じてきた。だからこそ、無力な自分が悔しい。一人でリキむ10代。
そんな時、海の向こうの友人が言葉をかけてくれた。「キョーコ。平和も環境保護も、願いは『幸せな街』を作ることでしょ。あなたの取り組むべき現場は、あなたの足元にあるはずよ。」険しい顔した私に優しく微笑んで「笑顔で行こうよ。あなたが楽しめば、仲間ができて、ちからが生まれるはずよ。」目から鱗が落ちた瞬間だった。そこが原点。
そんなわけで、世界平和でして。それをかなえさせてくれる、理想とするロケ支援のプロセスについては、後日書きまする。
(仕事の呼び出しで、現実に引き戻される)