■行き着くところは、やはり行政の力なのか

先日、行政の方からヒアリングの申し込みを頂いた。テーマは「地域感覚を身に着ける勉強会」。ぼそっと「金子さんのブログ拝見しました。行政に言いたいことがあるんですよね?」と。

「あー確かにそう言われれば、行政に対しての投稿が多いですよね」
「こんなんじゃいけない!何とかせねば!という発想が、活動の大半を占める源なんで、どうしても愚痴っぽくなってしまうのが私の反省材料です。うんでもって、自分達でできることはトライしても、乗り越えられない壁となるのが、対行政となるわけですね」
と頭を整理しつつ話してみた。

■大昔、こんなことを考えた。「行政はすげかえられない」
商売人として消費者として、商品や定員の態度が気に入らなければ店を変えればイイ。だけどもだっけど…。電気代が高いからといって電力会社を選ぶことはできない。諸外国では、水力を使うかなど選択ができるというが…。(最近は固定電話は企業を選べる時代になった。)電気、ガスと同様、街のことで気に入らないことがあっても、行政を選ぶことはできない。東京在住のときは、子ども持つときには世田谷区に引っ越そうなどという選択肢もあったが。生まれ故郷の沼津に戻って商売を手伝うなかで、長泉町に住もうという選択はない。

そんななか、行政もコンペで選べる時代になったらいいのに。などと考えた。
どんな街にするか。ビジョンを描き、特色のある街、最大公約数の人が住みやすいと考える街にしていくために選挙があり、公約があるのでしょう。公約といっても実現されないことがあるので、最近になってマニフェストが流行っているが、守られているんだかどうなんだか。ってな。具体的な施策や期間や数値目標って、なんだか「できない子供に、整理整頓しましょう」って書いた紙を壁にはっておくような感じがしちゃう。できる子は、着々とやってますからぁー。この市長になって街が変わった!と実感することって体験がないのでわからんが、横浜は変わったと言われている。宮城県も変わったのかなー?新聞やニュースで見る限りなんで、在住者でないとわからないことだが。

言ったことを守る。目標にむかって実現する。他者(在住者、消費者)の評価を求める。問われる。競争によって、イイもの(商品、街)ができる。商売と行政を同列に並べて考えてみたんです。そうすると、行政こんなんでいいの?と思う。選挙では市長を選ぶが、市長だけでなくて職員も選ぶことができないと変わらない。企業もコンペが優秀でもその実績が会社によって違うでしょ。実施できる能力があるのかは社員の腕だよね。

もちろん、営利企業と公共事業は大きくその性格は異なる。

■民間感覚
様々な行政施設で民間人の採用が流行っている。ニュースになるがこれもどうなんでしょう。行政と民間の間に多きな溝があることは確かですが、行政職員も同じ人間。同じ地域に暮らす人と考えているので、民間人の採用で大きな成果をあげた。なんていうのは恥ずかしいっていうか。喜べないニュースだと思うんです。

■優秀な職員は出世しない。
何度かブログで書いているように、優秀な職員や事業(やり方)はいくつかあります。がそういう人を見つけるのは、行政と一緒に何か仕事をしたことがある人しかわからないんじゃないかと感じる。すなわち、そう思える人が少ない。役職についていない。大きな力(影響力)をもっていない立場、社内空気になっていないのではないかと。

話それるが、ある市町職員が、出向で隣町にいきました。隣町の職員の影響力によって自分の市町が見えてきた。やりがいをもって仕事に取り組めて楽しいと。そんな彼に言いました。「じゃー帰ってきたらその力を発揮してね」と。彼は「いやー、今の職場や上司仲間だからできるけれど、たぶん戻ったら静かに暮らすこととになります。うんでもう一年出向をのばしてもらいます」ありゃま。そりゃ残念。若いからこれから先に期待するけれど。ちょいと前にも若くて意気込みのある職員が退職してしまって残念な思いをした。

まーこんな話は行政でなくとも、企業でも、NPOでもあることです。だけどもだっけど、行政はすげかえられない組織なので、未来永劫我々住民はお付き合いをしなくてはならない。よって能力が発揮できない。ではいかんじゃないかと思うんす。

ある行政人事職員さんに、この悩みを相談しました。「この分野にたけていて能力あるのに、なぜ他の課にいくの?」「逆にこの分野を理解していない人がこの事業の役職についちゃうの?」と。(異動の必要性は若干理解しているが、事業がガタガタじゃん)
どうやら行政職員としては優秀である。=民間人が優秀であると思える人ではない。図式なんだと解釈しました。「県職員としては優秀なんです」いやーそれがわからん、わからん。触れてみたことないからさ。もっと知りたいなー。

■話もどって、行き着くところは、やはり行政なのか
そんなわけで、物を買うのと同じく、街で暮らすには、対行政は必然です。でそこでいい思いもあれば、気に入らないこともあるわけです。お付き合いは未来永劫ですから愚痴ばかり言っているのも楽しくありません。気に入るように自助努力もしなくてはいけません。行政頼みでなく、自分達で街をよくしていこう。っていうやつです。で、そういう努力をしてきました。NPO法人を作るということは、公共サービスのニッチを担うわけですから。単発のボランティア、まちづくり活動ではなく、組織として継続していくぞ!と、覚悟を決めたNPO法人を作ったんです。職員はそれが本業であり、給料がでていますが、民間はNPOといった活動は職員とは異なりますから、相当な覚悟と努力が必要です。
で勉強したりしつつ歩み寄りをしていきます。で、ここで対等だと思っていた関係が対等でないと気づきます。最近流行の協働なんていう言葉もまやかしですが、行政委任員、タウンミーティング、補助金、業務委託。どれをとっても根本から違う気がする。職員も我々も同じ街に暮らす人。職員は職員の得意分野を生かして、我々は我々の得意分野を生かして、互いに協力しあって街を住みやすい街にしていくんだ。そう考えていたんだが、違うんだと活動をやればやるほど、民間と行政の溝、壁が大きいことを知りました。

■押してだめなら引いてみな
行政委任委員で事業を進めていく中で、たいしたことでないこと(委員は他に誰がいるのか?)をお願いした。が出せないという。ある委員が出せないならば、書面に書いてお願いするとか、礼儀を尽くして、段取りをへてやるだけのことをやってみてはどうか?と助言される。確かに、おっしゃるとおり。そりゃわかる。だどもさ、我々の目標は事業成功であり、こんなところでつまづいていては先が思いやられるぞ、と。互いに礼儀を尽くすことは大事だが、それ以前に委員を引き受けるにあたり、どんな事業をやるのかを考える上で委員は他に誰(分野に長けた人)がいるのか。を知らせることは前提だと思う。こちらが礼を尽くす。の以前でないか。とね。
たとえ話だが、こういったことってたぁーくさんある。そんときに、民間人の選択は2つ。(1)委員をやめる。(仕事も忙しいのに、そこまで労力かけられない)もしくは(2)要求をせずに黙ってついていく。(とりあえず委員でぇー)
商売ならありえない話だと思うんだ。提携先に企業とは対等でありたいと思うし、対等でない場合は互いのメリットを計算して条件を飲む。が、対行政では行政の常識で黙り込むことがまかりとっている。

大昔、街のことやるときに、私の意見も聞いてもらいたい。と思って、中心市街地活性化の行政委任委員になりたいと必死に動いたときがあった。委員になったら、決まったことに責任を持ちたいと思った。結果的にはできなかったんだが、委員として名を連ねる人はいつも同じ顔ぶれで、行政が決めたことだから我々には責任がないという。そんなのイヤだと思った。そんなんじゃ街は良くならないじゃんよー。飲み屋では不満たらたら言うのに、なんでその意見を会議で言わないのよ。と思う。

行政委任委員になると、人によってはハクがついたり、商売につながったりする。会議ではだんまりで、そんなんでいいのかとジレンマ。でもそういう人を選んでいる。という行政側の意図もあるから仕方ない。という堂々巡りだ。住民の意見を聞きました。とね。

■地域ニーズとは、時として批評でもある。それに耳をかたむけられる人、できない人。
自分ができているかと思えば、できていない事もある。可能な限り情報はオープンで意見を聞き、修正をして結果より良いものを創っていきたいと思う。聞き入れられない意見は、考えこまれていない、本人が実施する意欲ない、無責任な意見。匿名の誹謗中傷。
あんど、活動をしていて怖いのは、批評でなく、意見をもたないだんまりの人をつくってしまうこと。(囲まれること)そう考えている。

こうやってブログで日々の気持ちを書くことは、時として行政に対して批評となるんであろう。具体的なことは書いていないので、改善する余地はない内容ですが、良い街にしていこう。気持ちよいやり方ってどんなんだろう。を考えるための一つの手段であり、そういった意見があることを互いに耳を傾けることが必要だと思う。互いにといえば、行政職員の思いを語るツールなどもあったらイイ。ブログというツールは基本一方通行なので好きではない。先にブログで投稿したように「静岡県電子会議室」なるものが創れたら、職員も住民もそれぞれの立場で責任をもった意見交換ができたらいいなと思う。

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