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■地域文化活動賞と田村孝子さん、佐藤典子さん

2008-02-04

2/3静岡県文化財団の「地域文化活動奨励賞」の授賞式&発表会でグランシップに出かけた。

■静岡県現代舞踊協会 佐藤典子さん
発表資料作りで徹夜。弁当を食べた後はおねむモードであったが、表彰式代表挨拶でグランプリに相当する「地域文化活動賞」を受賞した静岡県現代舞踊協会代表の佐藤典子さんの挨拶に目が覚めた!

「ともすると、文化活動は、お金や時間のある人が行うもの、趣味の延長と捉えられがち…。文化は心を豊かに生きる上で必要不可欠なもの…と考えている」と、長年の活動功績があるからこそ、その言葉に重みを感じ、共感した。

現代舞踊、私には縁遠い世界です。発表では、「わかふじ国体」オープニング、ロダン美術館などでの活動を拝見した。関係者へお願いをして二年間かかってようやく実現したというプロセスと佐藤さん物腰に惹かれた。

■グランシップ館長 田村孝子さん
しずおか国民文化祭の委員も務められる田村さんとお話がしたいとお声をかけさせていただいた。
「自ら足を運んでくださる方ばかりでなく、子ども、高齢者、障害者など、なかなか芸術にアクセスできない方たちにも質の高い芸術を安く提供するのが、公立文化施設の役割。」(リビング静岡「いまを拓くトップに聞く」から)とおっしゃる田村さんの話を伺って、大きくうなずく。「質の高い芸術」「公立文化施設の役割」、どちらも文化にうとい私は別世界のことだと思っていたが、田村さんの言葉はそんな私にもわかりやすい普通の感覚と言葉で、それを理解させてくれる。

■静岡県舞台芸術センター(SPAC)の元芸術総監督 鈴木忠志さんがナゼにすごいか
「質の高い芸術とはなんぞや」田村さんのお話から私が理解したこと。「鈴木さん(清水市出身)は、ケンブリッジ大学が刊行している20世紀を主導した演出家・劇作家21人のシリーズで、アジアの演劇人としてただ一人選ばれた人」んだよ、と教えてくれた。「個人の好き嫌いを軸にして(判断?しちゃいけない)」うまく言葉に言い表せない、まだ自分の言葉になっていないが、メモ。

■公立文化施設の役割
東京に舞台を見に行ける人は行けばいいし、見に行ける。が我々がこの活動をはじめようとしたきっかけの一つにもあるように、良い物を見たい、触れたいと思っても行けない子供に、この静岡県で本物に触れる機会を創りたいとと思ったように、公立文化施設の役割があるのだと理解した。一方で地域ニーズはともすると??になってしまう。建物を何に使いたいか?カラオケ大会をしたいといった地域ニーズに応えるのか。それは公的、公立施設としてどう判断するのか、ココが問われるのだと思った。「それが地域ニーズです」と言われたら。我々も目指すものと、地域のニーズは異なり、そのギャップに戸惑う。公立文化施設の役割があるように、NPO法人としての役割はどこにあるのか見定めること、理解して判断することが必要なんだと教わった。

たかだか立ち話30分で、多くのことを学んだ。なかなかこんな刺激的な会話を日常的に味わえる機会はない。佐藤さんにも今度ゆっくり背景をうかがってみたいが、田村さんはNHK芸術文化担当解説委員時からグランシップを応援していたこと、現在も静岡に住まず東京にお住まいであることなどから、こんな方がグランシップを指揮しているかと思うと、静岡すげーじゃん。それを任命した知事すげーじゃん。と思う。

しずおか国民文化祭」これに関わらせていただいたおかげで、この三年間、日ごろ触れたことのない発想の方に出会える。来年開催時には、同じように互いに刺激しあえる場を創出したいと踏ん張る気持ちに拍車をかけた充実した一日であった。

■芸術に携わる者の社会的役割
田村さんの言葉。「芸術は、人の心を豊かにするために不可欠なもの。しかし、その大切さがあまり理解されていない。芸術に携わる者は社会に対し、『なぜ芸術が必要なのか』を説く必要があります」
佐藤さんも挨拶で同じ事を言っていたなと、リビング静岡の記事を読む。
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■スタッフ餅(←ニックネーム)の言葉
今日はスタッフ4人で出かけた。私以外は2006年からスタッフになった30代女性3人だ。往復車中のおしゃべりが楽しい。現在OLのスタッフ餅。彼女曰く「活動には、OL生活では味わえない、体験できない楽しさがある」←これは直接的には他の団体に入会した感想なんだけど、スタッフ餅のように30代の若い女性が、週末の一日をNPO(地域)の活動で使う。には、そこに魅力がなくてはならん。きっとフィルム微助人にもその魅力はあるんだと勝手に解釈しつつ、継続して魅力をもちつつ、あわせて目的を見失わないトップでありたいと思った。
微助人でこんなことしたいね。自分はこんなことならできる。こんな能力は足りない。お互いに補っていこう。という話ができたことも、今日の発表会という場の刺激があったからだと思う。パソコン前での活動、会議のみだけでは出てこない発想、会話だったとこの機会にまたもや感謝です。

■行き着くところは、やはり行政の力なのか

2008-01-13

先日、行政の方からヒアリングの申し込みを頂いた。テーマは「地域感覚を身に着ける勉強会」。ぼそっと「金子さんのブログ拝見しました。行政に言いたいことがあるんですよね?」と。

「あー確かにそう言われれば、行政に対しての投稿が多いですよね」
「こんなんじゃいけない!何とかせねば!という発想が、活動の大半を占める源なんで、どうしても愚痴っぽくなってしまうのが私の反省材料です。うんでもって、自分達でできることはトライしても、乗り越えられない壁となるのが、対行政となるわけですね」
と頭を整理しつつ話してみた。

■大昔、こんなことを考えた。「行政はすげかえられない」
商売人として消費者として、商品や定員の態度が気に入らなければ店を変えればイイ。だけどもだっけど…。電気代が高いからといって電力会社を選ぶことはできない。諸外国では、水力を使うかなど選択ができるというが…。(最近は固定電話は企業を選べる時代になった。)電気、ガスと同様、街のことで気に入らないことがあっても、行政を選ぶことはできない。東京在住のときは、子ども持つときには世田谷区に引っ越そうなどという選択肢もあったが。生まれ故郷の沼津に戻って商売を手伝うなかで、長泉町に住もうという選択はない。

そんななか、行政もコンペで選べる時代になったらいいのに。などと考えた。
どんな街にするか。ビジョンを描き、特色のある街、最大公約数の人が住みやすいと考える街にしていくために選挙があり、公約があるのでしょう。公約といっても実現されないことがあるので、最近になってマニフェストが流行っているが、守られているんだかどうなんだか。ってな。具体的な施策や期間や数値目標って、なんだか「できない子供に、整理整頓しましょう」って書いた紙を壁にはっておくような感じがしちゃう。できる子は、着々とやってますからぁー。この市長になって街が変わった!と実感することって体験がないのでわからんが、横浜は変わったと言われている。宮城県も変わったのかなー?新聞やニュースで見る限りなんで、在住者でないとわからないことだが。

言ったことを守る。目標にむかって実現する。他者(在住者、消費者)の評価を求める。問われる。競争によって、イイもの(商品、街)ができる。商売と行政を同列に並べて考えてみたんです。そうすると、行政こんなんでいいの?と思う。選挙では市長を選ぶが、市長だけでなくて職員も選ぶことができないと変わらない。企業もコンペが優秀でもその実績が会社によって違うでしょ。実施できる能力があるのかは社員の腕だよね。

もちろん、営利企業と公共事業は大きくその性格は異なる。

■民間感覚
様々な行政施設で民間人の採用が流行っている。ニュースになるがこれもどうなんでしょう。行政と民間の間に多きな溝があることは確かですが、行政職員も同じ人間。同じ地域に暮らす人と考えているので、民間人の採用で大きな成果をあげた。なんていうのは恥ずかしいっていうか。喜べないニュースだと思うんです。

■優秀な職員は出世しない。
何度かブログで書いているように、優秀な職員や事業(やり方)はいくつかあります。がそういう人を見つけるのは、行政と一緒に何か仕事をしたことがある人しかわからないんじゃないかと感じる。すなわち、そう思える人が少ない。役職についていない。大きな力(影響力)をもっていない立場、社内空気になっていないのではないかと。

話それるが、ある市町職員が、出向で隣町にいきました。隣町の職員の影響力によって自分の市町が見えてきた。やりがいをもって仕事に取り組めて楽しいと。そんな彼に言いました。「じゃー帰ってきたらその力を発揮してね」と。彼は「いやー、今の職場や上司仲間だからできるけれど、たぶん戻ったら静かに暮らすこととになります。うんでもう一年出向をのばしてもらいます」ありゃま。そりゃ残念。若いからこれから先に期待するけれど。ちょいと前にも若くて意気込みのある職員が退職してしまって残念な思いをした。

まーこんな話は行政でなくとも、企業でも、NPOでもあることです。だけどもだっけど、行政はすげかえられない組織なので、未来永劫我々住民はお付き合いをしなくてはならない。よって能力が発揮できない。ではいかんじゃないかと思うんす。

ある行政人事職員さんに、この悩みを相談しました。「この分野にたけていて能力あるのに、なぜ他の課にいくの?」「逆にこの分野を理解していない人がこの事業の役職についちゃうの?」と。(異動の必要性は若干理解しているが、事業がガタガタじゃん)
どうやら行政職員としては優秀である。=民間人が優秀であると思える人ではない。図式なんだと解釈しました。「県職員としては優秀なんです」いやーそれがわからん、わからん。触れてみたことないからさ。もっと知りたいなー。

■話もどって、行き着くところは、やはり行政なのか
そんなわけで、物を買うのと同じく、街で暮らすには、対行政は必然です。でそこでいい思いもあれば、気に入らないこともあるわけです。お付き合いは未来永劫ですから愚痴ばかり言っているのも楽しくありません。気に入るように自助努力もしなくてはいけません。行政頼みでなく、自分達で街をよくしていこう。っていうやつです。で、そういう努力をしてきました。NPO法人を作るということは、公共サービスのニッチを担うわけですから。単発のボランティア、まちづくり活動ではなく、組織として継続していくぞ!と、覚悟を決めたNPO法人を作ったんです。職員はそれが本業であり、給料がでていますが、民間はNPOといった活動は職員とは異なりますから、相当な覚悟と努力が必要です。
で勉強したりしつつ歩み寄りをしていきます。で、ここで対等だと思っていた関係が対等でないと気づきます。最近流行の協働なんていう言葉もまやかしですが、行政委任員、タウンミーティング、補助金、業務委託。どれをとっても根本から違う気がする。職員も我々も同じ街に暮らす人。職員は職員の得意分野を生かして、我々は我々の得意分野を生かして、互いに協力しあって街を住みやすい街にしていくんだ。そう考えていたんだが、違うんだと活動をやればやるほど、民間と行政の溝、壁が大きいことを知りました。

■押してだめなら引いてみな
行政委任委員で事業を進めていく中で、たいしたことでないこと(委員は他に誰がいるのか?)をお願いした。が出せないという。ある委員が出せないならば、書面に書いてお願いするとか、礼儀を尽くして、段取りをへてやるだけのことをやってみてはどうか?と助言される。確かに、おっしゃるとおり。そりゃわかる。だどもさ、我々の目標は事業成功であり、こんなところでつまづいていては先が思いやられるぞ、と。互いに礼儀を尽くすことは大事だが、それ以前に委員を引き受けるにあたり、どんな事業をやるのかを考える上で委員は他に誰(分野に長けた人)がいるのか。を知らせることは前提だと思う。こちらが礼を尽くす。の以前でないか。とね。
たとえ話だが、こういったことってたぁーくさんある。そんときに、民間人の選択は2つ。(1)委員をやめる。(仕事も忙しいのに、そこまで労力かけられない)もしくは(2)要求をせずに黙ってついていく。(とりあえず委員でぇー)
商売ならありえない話だと思うんだ。提携先に企業とは対等でありたいと思うし、対等でない場合は互いのメリットを計算して条件を飲む。が、対行政では行政の常識で黙り込むことがまかりとっている。

大昔、街のことやるときに、私の意見も聞いてもらいたい。と思って、中心市街地活性化の行政委任委員になりたいと必死に動いたときがあった。委員になったら、決まったことに責任を持ちたいと思った。結果的にはできなかったんだが、委員として名を連ねる人はいつも同じ顔ぶれで、行政が決めたことだから我々には責任がないという。そんなのイヤだと思った。そんなんじゃ街は良くならないじゃんよー。飲み屋では不満たらたら言うのに、なんでその意見を会議で言わないのよ。と思う。

行政委任委員になると、人によってはハクがついたり、商売につながったりする。会議ではだんまりで、そんなんでいいのかとジレンマ。でもそういう人を選んでいる。という行政側の意図もあるから仕方ない。という堂々巡りだ。住民の意見を聞きました。とね。

■地域ニーズとは、時として批評でもある。それに耳をかたむけられる人、できない人。
自分ができているかと思えば、できていない事もある。可能な限り情報はオープンで意見を聞き、修正をして結果より良いものを創っていきたいと思う。聞き入れられない意見は、考えこまれていない、本人が実施する意欲ない、無責任な意見。匿名の誹謗中傷。
あんど、活動をしていて怖いのは、批評でなく、意見をもたないだんまりの人をつくってしまうこと。(囲まれること)そう考えている。

こうやってブログで日々の気持ちを書くことは、時として行政に対して批評となるんであろう。具体的なことは書いていないので、改善する余地はない内容ですが、良い街にしていこう。気持ちよいやり方ってどんなんだろう。を考えるための一つの手段であり、そういった意見があることを互いに耳を傾けることが必要だと思う。互いにといえば、行政職員の思いを語るツールなどもあったらイイ。ブログというツールは基本一方通行なので好きではない。先にブログで投稿したように「静岡県電子会議室」なるものが創れたら、職員も住民もそれぞれの立場で責任をもった意見交換ができたらいいなと思う。

■ドラマ「ハケンの品格」とまちづくり続 「私は負け組じゃなぁ〜い!」

2007-12-31

過去記事「■ドラマ「ハケンの品格」とまちづくり」 より
>私、負け組じゃん。バカ扱いされちゃうじゃん。小泉孝太郎(役)じゃん。

篠原涼子(役)にバカ扱いされながらも小泉孝太郎(役)は周りに媚びることなく自分の信念を進む。バカ扱いしつつも、小泉孝太郎の手助けをする篠原涼子。認めているっつーことだよね。なんで、自分のこと卑下してるわけじゃーないよ。

小泉孝太郎と、大泉洋、二人の生き方をズバッと表現し、周りの人間も二人のどちらにつくのか白黒はっきりした役柄設定になっているのはやはりドラマ。気持ちがイイ。
が、現実はそうもいかない。

・形だけじゃんと思える団体が、指定管理者となっていたり、補助金が自動的に入ってきたり、いつのまにか業者として入っていたり。
・実働していないのに、あたかも自分がやったかのような言動をし、おかしな方針をだす職員がいたり。
・多額な税金をつかって、こんだけかい仕事結果は?と思える企業がいたり。

具体的な内容が書けないっすが。そんなことがまかり通って評価されちゃう静岡県にうんざりっす。もちろん、そうじゃない人もいるけど、大きな力をもっていない事の方が多い。もっと言えば、そうじゃなくって権力ももっている組織も少数だが静岡県にも存在している。

■ある人に言われました「正義感をもちつつ、腹黒く生きるんですよ、金子さん」。
ふむふむ。腹黒くっていうとマイナスイメージにとらわれがちだが、目的遂行のためにどう立ち回るか。っていう意味で戦略は大切だと思う。

■正義感をもったまじめな人はやめていく
まじめな人のなかには、コバンザメやいい加減な仕事をしている人を見るとイヤになってそれに関わるのは無駄だとなっていくと、やめてしまうことがある。やめてしまっては目的遂行は達成しない。何のためにやるのか。毎年いくつか関わる組織でやめていく人を引き止めている。

・こんないい加減な関わり方ではみなさんに迷惑かけます。
・議論したことが白紙になり、無意味に思う。自分の大事な時間をこれ以上さくことはできない。
まじめな人はそう考えます。

でも、ココでやめてしまったらいけません!世の中変わりませんから。後世のために今ふんばるのです。
人に説得しつつ、自分にも言い聞かせています。

→自分 がんばれるの?2008年。

■まちづくりに参画するのかしないのか

2007-12-30

「住民が育っていない」とか「住民を育てなきゃ」という言葉を聞きます。「若者が選挙にいかない」とも言われます。

若者が選挙に行くよう膨大な広告費を払っても解決しません。未来永劫に。さっきのブログ内容に続いてます。

世の中の役に立ちたい。という思いを持った人はたくさんいます。しかしながら、そのためにどこまで関われるか。となると話は違います。自分の生活をおいやってまで、世の中の役に立つことを最優先にし、どっぷりつかれる人は少ないです。結果、市民活動をする人、しない人という区分けになり、活動していない人は関心のない人にくくられる気がします。(いろんな会議で会う顔ぶれは馴染みになる)私の周辺では、ちょっとの関わりで世の中の役に立つような環境はないと思っている。自分の都合にあわせたボランティア(市民)活動ができる仕組みづくりができていない。

「住民が育っていない」という人は、ニーズをキャッチして、取り入れようとしないだけだと思うんす。世の中いろんな人がいるでしょうが、「世の中のために役立ちたい」という気持ちを持った人をたぐっていけば、相当な数になると思う。それぞれが役立ちたい。役立っていると感じる居場所や役割が異なるから、仕組みづくりは容易ではないけれど。最大公約数的なとっかかりは、「自分が役立っている」という体験機会をつくること。これは難しいことじゃないと思う。

「若者が選挙にいかない」のは、自分の一票で何か世の中(自分の生活)が変わるわけじゃない。と思うから。選挙に限らず、世の中にはいろんな社会問題があるが、自分には関係ないと思っている。

これを解決するには、自分も関わっている。という体験をつくることで解決の糸口、環境づくりができる。

最近、ボランティアに関わる体験プログラムやまちづくりリーダー養成講座、あわせてそういった活動を紹介する冊子やサイトが増えてきた。これも一考ではあるが、多くの人は、事務局側にとってお客様でしかないんじゃないか、まちづくりは習うもんじゃないと思う。「住民が育つ」まではいかないと思う。一部の人にとってはきっかけとなり街にかえってリーダーになりうる可能性はあるが。

■住民が関わる体験を作る 電子会議室
フィルム微助人をやるしかないか!と覚悟を決めたきっかけとなった(青年会議所内での)事業があって、当時夢なかばで実現できなかった「電子会議室」というのがある。その数年後、仲間が立ち上げは行った。(TMOぬまづ「まちづくり市民会議室」※ページ存在はしていますが休止状態っす)継続はできていないけれど。
・「藤沢電子会議室
・「大和市電子会議室

現在ではファシリテーター養成講座までできワークショップという言葉も馴染みとなったが、当時1997年、事業展開した頃は「まちづくりには住民参画が必要」と、ようやく静岡県でも言われはじめたばかり。開催したワークショップは初体験者ばかりであった。(講師は京都工芸繊維大学の谷口知弘先生)そんなヨチヨチ歩きの私に、藤沢の電子会議室は憧れのマドンナのような存在(どんな存在やねん)であった。

すごいのは、市制に対して、住民から意見をもとめる。それを市制に反映する。ただそれだけ。

ネットがこれほどまに普及していない時代にできたのよ。藤沢は、すごいやね。ネットの大きな利点は、住民の手元に届けられること。意見を求められる行政委任委員の会議は、平日昼間に行われる。そんなのに参加できる住民っておかしいよね。必然的に組織の代表やら町内会の会長やらになって年齢もせばまってくる。若者が市制に口出しすることなんてできまへん。当然ながら、政治にも興味持てません。いまや「mixi」がブームになっているように、幅広い層が自分の意見をネットで表現します。こんな時代がおとずれるとは、電子会議室で予測できたでしょうか。
電子会議室には24時間、自分の都合にあわせて意見を書き込むことができます。またその結果が市制に反映されますし、会議へも参加ができる。議事録は当然公開され、どのように自分の意見が反映されプロジェクトが進んでいるのかが見える仕組みができています。

意見は、担当部署に限らず、他部署、全職員が見ることができます。もちろんそれに対しての対応もしなくてはなりません。電子会議室によって部署間の横の連携ができるのは、当然のことのようですが稀な事例なので更に素晴らしい。ことだと感動したものです。

最初は、身近な問題からかもしれませんが、この体験で自分の意見が世の中に役立つことを知ると、他のこともやってみようという気持ちになってきます。そういった積み重ねが、「住民が育つ」ということにもなります。

沼津市でも遅れて市民意見箱というメールで意見を出すと答えてくれるというシステムがあり、一度体験しましたが、結果はトホホです。こんな部署は無いほうがイイ。税金がもったいないっす。(どこかでそういう意見があったことは伝えます。とだけでもなるんだったら存在価値はあるが)

フィルム微助人は、20代〜40代の若い働く女性が活動していますが、どうしてこの活動に参加したのかを紐解いていくと、それは自治体の市民参画にも十分参考になります。町内会長でも、団体の会長でも、企業の社長でもない我々住民の意見が市政(県政)に反映され、住民も責任もって行動していく日がいつかくると信じて、いましばらく、自身の生活をおいやってこの活動を続けてみようと思う。倒れない日まで…。

■ドラマ「ハケンの品格」とまちづくり

2007-12-30

●再放送でドラマ「ハケンの品格」(篠原涼子主演)を見た。
言いたいことを言う優秀な派遣社員(篠原涼子)と、派遣社員を差別する昇格間違いなしと言われた男性社員(大泉洋)と、派遣社員を認めるお人よしの男性社員(小泉孝太郎)の物語(はしょる)。第8話「「派遣にプロポーズ」第9話「スーパーハケンの過去」で、派遣社員の篠原演じる大前春子のこんな台詞がある。(公式サイト:「ハケンの品格」)

・「社員には2種類しかいません。一、出世のために働く社員(→大泉洋)。二、人のために働いてしまう社員(→小泉孝太郎)。二、は会社にはバカ扱いされます」
・「上司に逆らうのは負け組(→小泉孝太郎)のやることです」

言い当ててるなー。私、負け組じゃん。バカ扱いされちゃうじゃん。小泉孝太郎(役)じゃん。

その小泉孝太郎(役)は、「みんなが喜んでくれるハケン弁当が作りたい」ということで、企画のために1000人の派遣社員にアンケートをとる。派遣社員がいるマーケティング課は必死で動いたけれど、結局採用してもらえず。おまけに上司には煙たがられ異動されそうになる。という設定でしたが、自分を投影させてみました。私負け組み派。(参考ブログ:「蒼 徒然なるまま」急展開の「ハケンの品格」!! )

●会社に限らず「まちづくり」の現場でも、同じような場面に出くわします。
・売れる商品、みんなが欲しがっている商品(住民から求められるプロジェクト)を作るために、ニーズをキャッチするといった地道な作業は共感や感動を呼びます。しかしながら、商品コスト(手間、担当者の怠慢)といった会社都合のみならず、関わる人間の出世欲といったもので商品が作られる。(プロジェクトが進められる。)事の方が多いように感じている。
・良い(ニーズに沿った)ことをしているからといってそれが採用されることは少ない。
・企業商品なら買わなければ良いことだが、住民サービスは利用者側の選択はできない。

どうして使用する地元住民に不便なこんな道路作るんだよ。もっとこうしたら良いのに、ニーズを聞けば愛される道路になってメンテナンス(税金)コストも抑えられるのに。世の中そんなこと多くないですか?
私はそんな憤りが動機でフィルム微助人を立ち上げたわけですが、最近行き詰っています。「ハケンの品格」のこのワンシーンのような場面に出くわすからです。

「ハケンのためのハケン弁当」は、本当にそうなのか?
書類に掲げた目的や計画はどれも素晴らしいものばかり。が、実際にプロジェクトを進めていくと、「絵に描いた餅」と、はなっから諦めたできレースが常識となって横行する。コレはひとえに、担当スタッフ次第だと思う。あんど、現場の仕事を見ている上司がいるかどうか。コツコツとマメな作業とポイントをずらさぬ視点をもったプロジェクト進行ができる担当者がいるかどうか?で、実際にいるんですが、そういう人は確かに出世しないです。人をまきこんだ作業が得意な人は、日の目を浴びない。自分は手を出していないのに、自分がやったかのように錯覚をおこさすことができる人が上司の信頼を得ていたりして、権力をもっている。ドラマの世界とまちづくり(行政)の現場も同じです。

まぁーそんなこたぁーどこでもあることなんでしょうがね。つかれちゃうわけですわ。

首長が「釣りバカ日誌を誘致しろ。いくらかかるんだ」と未だ言っているかと思うと…。そのお金をかけるなら、今やっている活動に投資しようよ。一発屋で終わっていいのか?金で解決した誘致なんて何も財産残らないじゃん。誘致の目的は注目されることにあるの?産業になったり文化に育ったり、住民が関わることでコストかけずに根付いていく。そういったことの、あくまで誘致は手段でしかないじゃんないかな。とこの10年思うのです。年末でいろんな番宣を観ていると、「あん時(先月)、真剣に取り組んでもらえていたら、コレ誘致できたのに。アレ誘致できたのに」と思うんす。ちょっとの手間で首長の夢?は叶うのに、夢実現は目の前にあっても、それには手を出さず、大金払ったら手に入る。と思う感覚、そろそろおしまいにしようよー。

文化的施設まで話もっていきたかったが、うーまたもや支離滅裂っす。